景徳鎮の観光スポット紹介

江西省北東部に位置する陶磁器で有名な景徳鎮市は中国4大名鎮(他は広東省佛山、湖北省漢口、河南省朱仙鎮)に選ばれ、また 、国家歴史文化名城に指定されています。東晋時代には新平、後に昌江の南岸に位置することから、昌南鎮と改名されましたが、北宋の景徳年間、年号により景徳鎮と改名され、浮梁県に属した。1960年に浮梁県をも含めた景徳鎮市となりました。 そんな景徳鎮でなんと言っても忘れてはならないのが陶磁器で、漢代より陶器の生産が始められたといいます。 宋代には、青白磁が開発され、元、明、清代にはいわゆる「青花」と呼ばれる染付磁器の優品を輩出し、宮廷でも用いられ、また欧州など海外諸国にも広く輸出されました。 現在中国の英語名はCHINAですが、これは景徳鎮がまだ昌南(CHANGNAN)と呼ばれていた頃、輸出された陶器を見た欧州人が産地を尋ね、その回答の昌南(CHANGNAN)が 訛りCHINAとなりました。そんな景徳鎮には現在も多くの陶器に関わる博物館や遺跡が有り、興味のある方にとっては是非一度は訪れて見たい場所です。

景徳鎮古窯民俗博覧区

景徳鎮古窯民俗博覧区は景徳鎮市街の中心地瓷都大道古窯路に位置しする景徳鎮の陶磁器の歴史と文化を伝えるスポットです。 歴代古窯展示区には古代制瓷作坊、世界最古の瓷の生産ライン、宋代の龍窯、元代の饅頭窯、明代の葫芦窯など各年代の窯を見学できます。 中でも必見は清代の鎮窯でこれは中国伝統焼窯の最高傑作と称されます。 陶瓷民俗展示区は12棟の明清代の古建築の中に陶瓷民俗陳列、天后宮、瓷碑長廊、水上舞台瓷楽演奏等を見学することが可能です。

景徳鎮御窯遺址

【御窯】とは宮廷で使用する陶磁器専用の窯で、この景徳鎮は北宋時代の1004年より清代の1911年まで実に900年以上の間、 その御窯がありました。現在見学できる景徳鎮御窯遺址は明の初代皇帝朱元璋が1369年(洪武2年)に御器廠を造ったのが始まりで、 清代の 1911年までの540年間、宮廷で使用する陶磁器を生産しました。世界的に有名な景徳鎮の陶磁器ですが、中でもここで生産されたものは 最高傑作であるとの評判です。

景徳鎮陶瓷館

景徳鎮陶瓷館は1954年にオープンした博物館です。展示スペースは2500uで数新石器時代の陶器より各年代の陶器を2万点ほど収蔵しています。 その中で500点ほどの国家珍貴文物を収蔵しています。展示室は5つの区画に分かれ、第一は五代-元代、第二は明代、第三は清代、第四は民国期、 第五は現代の陶磁器を展示しています。

景徳鎮民窯博物館

1984年にオープンした博物館で、40数万uに及ぶ五代から明代にかけての陶磁器や窯跡が多く埋まる湖田窯古瓷遺址の中に有ります。 湖田窯古瓷遺址では一般民衆が使う陶磁器が生産されました。景徳鎮民窯博物館ではここで発掘された数千点の内の169点を選び展示しています。

龍朱閣

景徳鎮市街のほぼ中央にある景徳鎮のシンボルと言える存在です。この五層の塔の上からは景徳鎮市街を見渡すことが出来ます。 またこの中には【景徳鎮官窯博物館】があり明代初期の染付製品を中心に展示されています。

浮梁古県衙

景徳鎮の北約8Kmに位置する浮梁古県衙は817年(唐代元和11年)に設置された浮梁県の役所跡です。 江南地方で唯一ほぼ完璧な形で残る封建時代の県級衙署です。 当時景徳鎮は昌南鎮と呼ばれ、この浮梁古県の管轄下にありました。この浮梁古県衙は宋代に現在の場所に移転されて以来 1100年以上の間行政の中心地としての役割を果たしてきました。現存のものは清代の道光年間に建てられたもので、64495uの敷地内の中央線上には、 照壁、頭門、儀門、衙院、大堂、二堂及び三堂が創建時と同じように残っています。

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