合肥は人口約450万人、近年ハイテク産業なども盛んな安徽省のほぼ中央、長江と淮河の間、巣湖の畔に位置する安徽省の省都です。古来盧州とも呼ばれる合肥の歴史は
秦代に始皇帝によって合肥県が置かれて以来既に2200年にも及びます。後漢末には曹操と孫権の係争地となり、
三国時代には魏の揚州経略の主要拠点となり、呉からの攻撃も度々受けました。このように三国時代にしばし戦いが行われたことにより
【三国故地】とも呼ばれています。
合肥出身の北宋時代の名臣包拯を祀った祠堂です。この包拯は中国国内では知らない人はいないほどの 非常に有名な人物で、様々な京劇や小説にも登場します。特に裁判官としての評価が高く、高官でありながら 庶民の味方、日本の大岡裁の原型を造った人物とされております。その人気により合肥は包拯の故郷ということで別名【包拯家郷】 と呼ばれているほどです。ここには包拯の生涯を説明した蝋人形館、包拯墓などがあります。
包公祠に隣接する包拯や夫人、子孫の墓などのある公園です。またこの園内には 安徽省で最も有名な江南式庭園の浮荘があります。池の中に浮いているように見えるということから 浮荘と名付けられたこの名園は太湖石の築山とつづら折りの橋を渡って行く各亭が 水に映って落ち着いた雰囲気となっています。
三国志ファン必見の場所で、三国時代の215年、呉の孫権が10万の兵を率いて合肥を攻めた際に魏の張遼が 勇士800人とともに戦った場所です。結果孫権軍を追い払い曹操の感服を受けた張遼は出世を果たすことになりました。 三国志演義の第67回の話となった場所です。
南朝梁の武帝時代の6世紀初めに創建された逍遥津公園のすぐ南に位置する寺院です。
大殿や紀元前218年に掘られた井戸などがあります。
ここも三国志ファンはぜひ訪れたい場所で、三国時代、魏の曹操が教弩台という高さ5mの壁を築き、
500名の兵士に弓を教え呉の孫権の攻撃に備えた場所です。
地上6階、地下1階建ての安徽省立の総合博物館です。2-3階は安徽省文明史陳列、4階が徽州古建筑、5階が 安徽文房四宝、新安画派など階ごとにテーマが分けられています。
合肥-上海 |
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