九江の観光スポット紹介

江西省の北部、北に長江を、東にハ陽湖を望む九江は、その地名は【九つの河】要するに水が豊富な場所を意味します。 古くから長江の重要港湾都市として栄えて来ました。その歴史は古く春秋時代には呉と楚の境界であり【呉頭楚尾の地】と言われ、戦国時代には 楚国に属していました。秦代には九江郡が設置され、その後、前漢初には一時、淮南国が置かれたりしました。 この地は水が豊富で水運も栄えていただけに古来より軍事拠点としても重要視されてきました。アヘン戦争後の1858年、天津条約により開港が要求され 租界が置かれたことも有ります。

鎖江楼塔

九江のランドマークとしても有名です。 1586年、当時の九江知事呉秀が水害防止を祈願して建てた、三層の楼閣【鎖江楼】、6角7層、高さ25.9mの【宝塔】、その横の 四頭の牛の像【四尊鉄牛】を合わせて鎮江楼塔といいます。1608年の地震で鎮江楼は倒壊し、四尊鉄牛は洪水で水没してしまいました。 その後、幾度となく再建がなされました。塔は残りましたが、1938年の日本軍と国民党軍の戦いで被弾し70CM以上傾斜したと言われています。 1986年、98年には改修工事が行われました。

潯陽楼

中国四大奇書【水滸伝】第24話[潯陽楼に反詩を吟ず]に登場する酒場です。 小説の中で酒に酔った宋江が政府批判の詩を詠み追われる身となった場所です。唐代に開業しました。 店名は北宋の書家蘇東坡が店名を書いたと言われます。 現存のものは1986年に再建されています。

能仁寺

梁の武帝年間(502-549年)に創建された名刹です。元々は承天院と言われました。776年白雲法師がここを訪れた際、 資金を工面し大雄宝殿と大勝宝塔(7層6面)を建てました。現存のものは1870年に再建されたものです。 ここで有名なのは能仁八景と言われる宝塔、石舟、雨穿石、双陽橋、誨爾泉、鉄仏、氷山、雪洞です。

煙水亭

九江市の中心に広がる甘棠湖の北端に位置する建物で、三国時代の呉の名将、赤壁の戦いの英雄周瑜の水兵指揮所と言われています。 白居易が江州(現九江)の司馬に左遷された時に再建されました。白居易は【琵琶行】の中で「別るる時荘荘として江は月を浸せり」による。 と詠んだことにより浸月亭とも呼ばれます。現存の建物は清代の光緒年間(1875-1908年)に再建されました。

琵琶亭

815年、江州(現九江)の司馬に左遷された白居易が客人を潯陽江に送った際に琵琶の音を聞き【琵琶行】を 詠んだと言われています。その【琵琶行】を記念して建てられたのが琵琶亭です。明代に現在の場所に移築されました。 現存のものは1987年に再建されたものです。

廬山

中国の三山の一つ(その他は黄山、雁蕩山)廬山は九江市南部にある名山で峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、[匡廬の奇秀は天下一である]と称えられてきました。 廬山風景区は302Kuあり、山脈地帯はその内の282Kuになり最高峰は1474mの漢陽峰です。、東はハ陽湖、北は長江を望み、四方は断崖に覆われています。 山頂付近にある?嶺一帯には広くて浅い谷(東谷と西谷)があり、雲や霧が漂い渓流が流れ、風景の美しさで知られる保養地で白居易や李白をはじめ多くの著名人達も この地を訪れ詩や絵を残しています。1996年には廬山国立公園として世界遺産にも登録されています。 そんな廬山ですが古くは神々が暮らす場所と考えられ仏教の中心地となりました。また6世紀ころからは道教の修行の場としての役割も果たしてきました。

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