鎮江の観光スポット


鎮江は江蘇省西南部に位置し、総人口は約300万人の地級市で京杭運河と長江の交差する場所に位置し古くから商業が盛んな街です。 かつては京口、丹徒などと呼ばれ、三国時代には呉の孫権が一時、京口に都を置きました。北宋時代に鎮江と改称され、1858年の天津条約で条約港に 指定されたことからイギリス租界もこの地に開かれイギリス領事館も置かれました。1929-1949年の20年間は蘇州省政府がこの地に置かれましたが、 1949年以降は南京にその機能が移りました。鎮江と日本の岡山県倉敷市と三重県津市は友好都市となっています。



鎮江の主な観光スポットは以下の通りです。

金山


元々は長江に浮かぶ島でしたが、長江の土砂が堆積し陸とつながり一つの山となりました。現在山の標高は45m、周囲は550mです。 そんな金山の由来は唐代にここで金が産出されたことに由来します。金山の中には東晋時代(317-420年)に創建された金山寺があり、 室町時代の水墨画家/禅僧の雪舟は遣明舟に乗り2度この金山寺を訪れ「大唐揚子江心金山竜遊禅寺之図」という絵を残しています。 この金山寺には慈寿塔という七層八角、高さ30mの塔が建てられています。他にも入口近くの大宝殿や【白虎伝】にも登場する白龍洞など 見どころも多いです。また金山の後ろには唐代にお茶を入れる名水として選出された天下第一泉があります。

北固山


長江を見下ろす標高53mの北固山全体が公園になっています。呉の孫権はここに城を築きました。 この場所で劉備玄徳と孫権が曹操の暗殺計画を練ったことでも知られます。入口を入ると 孫権と劉備玄徳がどちらが天下を取れるかお互いの剣で石を切って試したという試剣石があり、また北宋時代の1078年に建てられた鉄塔、 阿倍仲麻呂が玄宗皇帝より帰国を許可され日本への帰国船に乗り込む際に寧波で詠んだと言われる 【 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも】が刻まれた石碑があります。この歌は鎮江で詠まれたという説もあります。 阿倍仲麻呂は乗り込んだ帰国船が暴雨に会い、ベトナムまで流され結局帰国の夢がかないませんでした。 頂上に立つ甘露寺は呉の孫皓が264年に創建した寺院で【三国演義】の五十四段の舞台になった場所です。 北固山は三国志ファンには必見の場所でもあります。

焦山

焦山は長江に浮かぶ島で金山、北固山、焦山を合わせて鎮江三山とも呼ばれます。標高は71m、周囲は2Kmあります。 名は焦光という人物が皇帝の招きを3度も断りここに隠棲んだことに由来します。 ここは古来より軍事上重要な場所で、南宋の韓世忠はここで金軍と戦い、アヘン戦争時も要塞と砲台が作られ外国船を攻撃しました。 島へはロープウェイや渡舟で渡ることが出来ます。

鎮江博物館


旧イギリス領事館の建物を利用した博物館です。この博物館には西周鳳紋銅尊や唐銀亀負酒令籌筒など貴重な文物も 多く展示されています。


古西津渡街


鎮江博物館の北側に東西に延びる既に1000年の歴史を持つ通りで、この通りが出来た宋代にちなんで 宋街とも言われます。かつては金山に参拝するための通りであり今も宋、元、明、清代古い街並が残りっています。

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