福建省の省都である福州は武夷山に源を発するビン江下流に位置する港湾都市です。ガジュマル(榕樹)が多いことから榕城という別名を持ちます。 その立地条件を生かし、古来より海運業で栄えてきた街です。漢代より始まった海外貿易は明代にピークを迎え、朝貢国である琉球王国の指定入港地となり、琉球館が置かれました。 また清代には造船地、軍港としての役割も果たしました。アヘン戦争後の南京条約で福州は対外開港し、茶の輸出などで発展してきた街です。 日本の那覇市、長崎市とは友好都市となっています。
新石器時代からこの地に住むビン人の領域で、戦国時代中期に越が楚に滅ぼされ、越人が多くビン地に流入し、ビン越と呼ばれるようになりました。
紀元前220年ビン越を征服した秦始皇帝はこの地にビン中郡を設置しました。秦末、群雄が割拠すると、ビン越王無諸が反乱を起こし、後に劉邦に従いました。
このため、無諸は漢によってビン越王に封じられ、東冶(福州の古名)はその都となりました。
晋代には建安郡の郡城となり、唐代の725年福州都督府が設置されて、福州の名が固まりました。
唐末には王審知がビン国(909年-945年)を建国して、福州はその都となりました。このビン国(五代十国のひとつです。
この国は海外貿易などで大いに発展し、王延鈞の代には大ビン国と号し、福州を長楽府と改称した。925年に王審知が死んだ後は内紛が続きました。
宋代には福州に復し、刺史が置かれた。元代(1271年-1368年)に福建行中書省が設置され、最初は泉州、まもなく福州に長官が駐在しました。
明代(1368年-1644年)には福州に市舶司が置かれ、朝貢国である琉球王国の指定入港地となり、琉球館(英語版)が置かれることになりました。
明末には南明の都が置かれたこともあり、明清時代には福州は福州府治として福建の中心でありまして、アヘン戦争後の南京条約で福州は対外開港し、茶の輸出などで発展しました。
倉山には多くの外国領事館が置かれました。
近代の福建は、左宗棠によって福州船政局・船政学堂が置かれたこともあって北洋艦隊・福建艦隊に人材や艦船を多数送り込みました。
清仏戦争ではフランス海軍の攻撃を受けたが、再建された馬尾造船が近代造船業の発祥地となり、中華民国海軍や中国人民解放軍海軍にも大きな役割をにないました。
1984年対外開放地区に指定され、同時に国家歴史文化名城にも指定され、2006年現在では経済開発区に指定されました。
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