湖北省の省都である武漢は古くより長江とその支流である漢水の合流地点であり、 交通の要所として、商業の中心地として栄えて来た街です。現在は湖北省の省都となっており、街は大きく【漢口】、【漢陽】、【武昌】の 3つの地区から成り立っています。人口は約1000万人にも及び また、武漢の夏の暑さは有名で重慶、南京と並び【中国三大釜戸】と称されます。 1858年の天津条約により外国に開港され、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本が相次いで租界を設置したことも有り、 漢口地区には当時の赤レンガを使用した中世ヨーロッパ風の街並みも残っています。
武漢の夏の暑さは有名で重慶、南京と並び【中国三大釜戸】と称されます。7月の最高気温の平均は37℃近くに達するほどの暑さです。
黄陂区の盤龍城遺跡には3500年前の殷(商)代・方国都邑が保存され、長江流域で発見された唯一の殷代都市遺跡として知られています。
秦代には南郡に属し、漢代に江夏郡となった。晋代に武昌郡と改められ、江夏県に治所が置かれました。
これが現在の武昌となります。
当時は江北に漢陽があり、長江を挟んで向かい同士の二つの街は双城と称されました。
明代になって武昌と漢陽をあわせて武漢の名が始まり、また商業都市として夏口鎮が発達しました。夏口は後に漢口と改称されました。
漢口は1858年の天津条約で開港され、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本が相次いで租界を設置しました。
清末1853年から1856年にかけて太平天国との攻防が続き、1911年に武昌起義によって辛亥革命が勃発しました。
1926年10月、国民革命軍が武漢を攻略し、漢口市政委員会、武昌市政庁及び漢陽市政委員会が成立、12月に武昌、漢口、漢陽をあわせて武漢と呼ぶことが正式に決定され、
1927年には武漢を首都とする中国国民党左派の汪兆銘政権(武漢国民政府)が成立したが、南京の蒋介石政権に抗しえなかった。日中戦争により1938年には蒋介石の南京政府が武漢に仮の首都を置いた
。その後日本軍に押される形でさらに重慶に移りました。
戦後、1949年5月24日武漢市人民政府が正式に成立し、1967年には文化大革命によって大規模な武装闘争が起りました。
1986年12月に国家歴史文化名城に指定されました。1992年5月に沿江対外開放都市に指定され、1993年4月武漢経済技術開発区が正式に発足、多額の外国投資を導入し、1998年8月には長江の洪水によって水位が上昇し、町が危機に瀕したため、江沢民、朱鎔基らが来市して防護工作を指示しました。
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