蘇州の観光スポット紹介

   長江デルタの中心部、太湖の東岸に位置する蘇州は水源が非常に豊富で多くの庭園があり世界遺産に登録されているものも多いです。  また水運のための運河も張り巡らされ、 【東洋のベニス】などと称され、周囲には江南水郷古鎮も多くあります。そのため観光で訪れる人も非常に多い場所です。 近年は上海と高速鉄道で結ばれ、上海よりわずか30分ほどでアクセスが可能となり非常に便利です。

拙政園

中国4大名園の一つです。また蘇州4大名園の一つでその中でも規模は最大級で最も訪れる人も多い庭園です。 明代の1509年に御史であった王献臣が失脚した際この地を買い取り水をテーマにした庭園を造園しました。 ユネスコ世界文化遺産に登録されています。 その際のお金は賄賂を使ったとされ藩岳の詩の中かに【拙者之為正】と詠まれ、 拙政園と名付けられたと言われています。 5ヘクタールある庭園の何と半分以上が水で占められ、その他は東園、中園、西園という3つのエリアに分けられています。 蓮の花の景色が有名で、また回廊や楼閣もあります。有名な【紅楼夢】の中にもこの拙政園は登場しています。

留園

蘇州4大名園の一つで、中国4大名園の一つにも数えられる名園中の名園です。またユネスコ世界文化遺産に登録されています。 明代の嘉靖年間に徐時秦の私家庭園の東園として建設されました(西園は現在寺院)。 清代の嘉慶年代に改修、園主の劉恕名の姓にちなんで劉園と改称され、後に留園と呼ばれるようになりました。 ユネスコ世界文化遺産に登録されています。
2ヘクタールの敷地内は東部(住居)、中(山水)、西(山林)、北(田園)の4つの区域に分けられていて各々の楼閣は長い廊下で結ばれています。

獅子林

蘇州四大庭園の一つでユネスコ世界文化遺産に登録されています。元代至正2年(1342年)に高僧天如禅師惟則の弟子が禅師のために、ここに禅式の庭園を造園しました。 園内には太湖石と花崗岩で出来た奇岩がとにかり多く、その奇岩が獅子に似ていることから獅子林と名付けられました。 以前、富の象徴とされていた太古石を4ヘクタールある庭園の半分以上に配置されています。また、園内の道は複雑に入り組んでいて迷路のようで 庭園にそれほど興味の無い人でも楽しめることが出来ます。

滄浪亭

蘇州4大庭園の一つに数えられる名園でユネスコ世界文化遺産に登録されています。造園は唐末の956年にまで遡り呉越広陵王であった銭元僚が造営しました。 既に1000年以上もの歴史を有する蘇州でも最古の庭園として知られています。 その後、北宋慶暦年間に詩人蘇舜欽が官職を失脚した蘇州に住んだ際にこの庭園を買い取り 改修しました。名の由来は紀元前3世紀頃の楚の政治家、屈源の【楚辞】という詩の滄浪之水というフレーズから取られたと言われます。
蘇州4大庭園の中では一番小さな庭園で派手さは有りませんが付近の運河の景色も取り入れられてもっとも落ち着いた雰囲気の良い庭園です。

網師園

ユネスコ世界文化遺産に登録されている名園です。蘇州4大名園の一つでもあります。 規模は5400uと小さいものとなりますが、小規模ながら中国古典庭園の美しさが凝縮されています。 南宋時代に史正志の建てた万巻堂を清代に宋宗元が邸宅として改造しました。丸い池を中心にして築山や亭が配置され、 東側が邸宅、西側が庭園という位置づけです。中国庭園の【見本】とも言われ人気があります。

芸圃

ユネスコ世界文化遺産に登録されている名園です。民家に紛れ込んでまるで隠れ家のようなたたずまいで 世界的に有名な観光地というよりは近所の人に人気のある隠れたスポットというようなのんびりした雰囲気です。 明代嘉靖年間に袁祖がここに居を設けたのが始まりで、その後は学者の文震孟が造園し薬園としていました。 その後も文人、名士により受継がれ、芸術、社会情勢談義の場となってきました。庭園面積は約3800uで、 博雅堂、延光閣、乳魚亭などが絶妙に配置された江南庭園で場所により違った景観を鑑賞できます。

グウ園

ユネスコ世界文化遺産に登録されている名園です。 清代の光緒年間(1875-1908年)に造園された渉園を後に増築しました。 園内は東園、西園に分かれ東園には築山や点在する楼閣を長廊で辿ることが出来ます。

環秀山庄

ユネスコ世界文化遺産に登録されている名園です。 元々は【金谷園】という名称の庭園で、その金谷園に楼閣などが加えられていきました。 現在は蘇州刺繍研究所内も片隅にあり世界遺産に登録されている名園とは気づかない人も多いですが、 園内の築山は中国でも一番と称され一見の価値があります。

怡園

蘇州の中心観前街のすぐそばにある庭園です。明代に完了屋敷だったものを清代に顧文彬という人物によって 改修されました。園内は東西に分かれていてます。東側には楼閣、西側は太湖石などが配置され、両者は 長廊で結ばれています。江南庭園の基本が凝縮されていて一目でその特徴を見て取れること、またアクセスが便利なため 人気のある庭園です。

山塘街

蘇州の市中心からほど近く、水郷の街蘇州の雰囲気を気軽に楽しめるスポットです。 白居易が蘇州長官時代に蘇州城と虎丘山を結ぶ運河沿いに築かれた観光用のスポットで、 明清時代の街並みが再現され、その中にレストランや茶店などが並びます。 遊覧船もあり、水郷古鎮のスポットの雰囲気を堪能できます。ライトアップされる夜は特に綺麗です。

平江路

蘇州の市中心部からほど近い通りで、明清時代の建物が並ぶ通りです。通りの中では レストランや商店などが並びのんびりとした古き良き蘇州が残る場所です。 通りの横には水路も通り水郷都市蘇州の雰囲気を残します。

盤門

8つあった蘇州城の城門のうち唯一現存する門です。紀元前508年呉王の命を受けた 大臣伍子胥が築いた蘇州城の水門八門の一つです。現存の物は1351年に再建されたものです。 城壁外の水路では遊覧も楽しめます。 隣接する瑞光塔と水路にかかる呉門橋と合わせて盤門三景と呼ばれています。

報恩寺

既に1700年以上の歴史を持つ蘇州で最も古い寺です。三国時代呉の赤烏年間(西暦247〜250年) に孫権が母の恩に報いるため立てました。当時は「通玄寺」という名称でしたが唐代には「開元寺」となり その後、報恩寺と命名されました。現在蘇州のシンボルともいえる北塔は梁時代(502〜557年)の創建で 当時は11層ありました。現存の物は1−6層までは南宋代、7層以上は明代の物です。高さは76m 8角9層の 塔で9階からは蘇州を一望できます。

観前街

蘇州一賑やかな歩行者天国です。玄妙観の門前町として栄えてきました。 多くのショップやレストランが立ち並び非常に賑やかな通りです。

忠王府

太平天国の乱(1851-1864)で江南地区の攻略を進めていた忠王の李秀成により、蘇州は1860年に陥落しました。 その後、李秀成はここに王府を造り対清との対策本部などの役割を果たしました。元々はここには三国時代(220-280年)に 郁林太守の邸宅であった場所で現在でも江南式の庭園があります。

蘇州博物館

2006年忠王府に隣接してオープンした博物館です。斬新なデザインの外観の博物館は 東館と西館に分かれ、地上2階、地下一階となっています。蘇州周辺の文物などを中心に テーマ別に21の展示室に分けて展示しています。

虎丘

虎丘は春秋時代の呉王夫差が越王との戦いに敗れた父の闔閭を葬った陵墓です。 葬儀の3日後に、墓の上に白い虎が現れたことから虎丘と呼ばれたという言い伝えがあります。 剣を愛した父闔閭のために夫差は3000本の剣を埋めたと言われています。 始皇帝や孫権がその剣を探し求めて掘られた剣池などがあります。また万景山荘では盆栽も鑑賞できます。    虎丘の上に建つうは961年創建、高さ48m、八角七層の塔です。7度の火災にあい現存するのは清代のものです。 3.5度の傾きがあり東洋の斜塔としても有名です。

玄妙観

蘇州一の繁華街観前街に面して建つ道教寺院です。創建が晋代の咸寧年間(275−280年)になります。 当時は真慶道院と名付けられましたが元代に玄妙観となりました。現存の物で最古の物は南宋代の1179年に再建された、 中国三大木造建築に数えられる三清殿で、その他の物は清代以降に再建されています。 しかし、宋代の建築様式が守られていて威厳を放っています。

蘇州絲綢博物館

環秀山庄の隣にあるシルクの博物館です。シルクの歴史と技術に関して詳しく説明されている博物館です。

双塔

定慧寺通りの双塔禅寺内にある舎利塔です。北宋代の982年に建設が始まり、雍煕年間(984-987)に完成しました。 東西に並ぶ塔は七面八角で東の塔は舎利塔といい高さは33.8m、西の塔は功徳舎利塔といい高さは34.2mです。

西園

以前は東西に分かれた留園の西側庭園でしたが、現在はこの西側庭園だった部分に 戒憧律寺と西花園があり、この2つを合わせて西園と言います。戒憧律寺は留園を私的に所有した徐時秦の息子 徐溶が元の至正年間(1279-1294)に帰元寺を造り、それが戒憧律寺と改称されました。現存の物は 清代に再建されたものです。必見は羅漢堂にある500体の羅漢像です。その羅漢堂の奥には西花園があります。

寒山寺

唐代の詩人張継の【楓橋夜泊】の中でも詠まれてる禅宗寺院です。 南北朝時代の梁の天監年間(502-519年)に妙利普妙塔院として創建されました。 その後、唐代に寒山寺と改称されています。 現存の物は1860年の清代に再建されました。

宝帯橋

蘇州南郊外にある中国最長の石橋で、長さは320m、幅は4メートルあります。唐代の 元和年間(806-821年)に京杭運河を風上に向けて引っ張る目的で作られました。 現存の物は清代の1872年に再建されたものです。

西山

太湖最大の島で包山ともいわれます。周囲40Km、面積70Kuの島で島と湖畔とは約4300mの橋で結ばれています。 島内には【林屋洞】という唐代より道教の聖地とされる鍾乳洞や石公山などの景勝地があります。

東山

太湖に突き出た。周囲40Km、面積63Kuの半島で半島内には啓園という庭園や、富豪の邸宅である雕花楼、唐代に創建された紫金庵という寺院などの観光スポットがあります。

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