広州の観光スポット紹介

広東省の省都で華南最大の都市である広州は一見中国の大都会という印象を持ちますが、 その歴史は既に2800年にもなり、2200年前の陵墓の埋葬品を 多く展示した、西漢南越王墓博物館などを代表とした古代歴史に関するスポット、租界地沙面を代表とする 中世ヨーロッパを感じることの出来る場所、広州タワーなどの超近代的スポット、珠江沿いのおしゃれなバーや 中国革命に関するスポットなど観光スポットも数多くまた多種に及びます。広州は大都会で有りますがどこかノスタルジーを感じさせてくれる街でもあります。

陳氏書院


清代中期以降、華南地方の政治経済の中心地であった広州には出稼ぎ労働者や科挙を受験する者、受験勉強に励む者などが全国各地から集まり 、居住するようになりました。こうした者たちを同族で支えるために造らてたのが書院で、その書院の中には一族の先祖を祀る祖廟なども併設されました。
そんな書院の中で、最も有名なのが1894年に広州に住む陳性の人々がお金を集めて完成した陳氏の書院で、規模や内容ともに他氏に優りまた保存状態も良好です。 ここで陳氏一族子弟の教育も行われました。 総面積は約15,000uで、大門と聚賢堂を中心線とし、その左右に19の独立した書院を建てています。その書院一つ一つに磚彫、泥塑、石湾陶塑など 当時の最高技術が施されています。現在、これら書院の中には陶器、玉器、端渓硯、南方刺繍などの南方伝統美術工芸品が展示されています。
また、陳氏書院の必見としては聚賢堂の屋根の27mにも及ぶ塑像群でまた扉などにも精巧な彫り物が施されています。        

中山記念堂

1931年、中国革命の父孫文が中華民国非常大総統に就任中の総統府の所在地建てられた彼の記念館です。 記念館前には孫文の銅像が建てられています。記念館は1万2000uもあり、高さは49m、非常に精巧な造りとなっています。 席が4000席以上設けられていて現在でも時々コンサートなどの会場として使用されています。また、孫文の生い立ちを紹介する資料館も有ります。

三元宮

中山記念堂のすぐ北側に位置する道教寺院です。東晋代の東晋南海太守鮑静によって創建された非常に歴史の長い寺院です。 三元とは、道教の天宮、地宮、水宮の総称です。三元宮の主殿は三元殿で規模も大きなものです。

西漢南越王墓博物館

広州は秦の始皇帝が中国を統一して現在の広州に南海郡番禺県を設置し秦の支配下に入りました。
その後、始皇帝の崩御後間もなく秦帝国が崩壊し、秦の将軍であった趙佗がここに南越国を樹立して自立しました。 西漢南越王墓博物館は1983年発見されたこの南越国の2代目の王文帝の石室や副葬品を中心に展示を行う博物館です。 石室の展示では内部の様子を見学することも出来ます。必見は王の全身を覆っていた1191枚の玉片とシルクの糸で作られた 絲縷玉衣です。    

越秀公園

広州駅ににほど近い総面積約87万uにも及ぶ市民の憩いの場として知られる公園です。公園内には3つの湖と 7つの丘で構成され、また公園内に広州博物館、五羊仙庭などの観光スポットも点在しています。

広州博物館

越秀公園内にある博物館で中国でも最も早く造られた博物館の一つです。創建は1929年2月11日。博物館内の 【五嶺以南第一楼】と称される鎮海楼は明朝洪武十三年(1380年)に建てられ既に600年以上の歴史を持ち、 羊城八景の一つにもなっています。この鎮海楼の中は五階建てで展示スペースとなっています。一階は広州地理模型、 二階は秦、漢、東晋、西晋、三国、南北朝時代、三階は隋、唐、宋、元、明、清、四階は明清,清代歴史文物、五階はアヘン戦争後の近代中国の歴史資料の 展示となっております。
その他、广州美術館、三元里人民抗英斗争記念館、三・二九起?指?部旧址記念館などが有ります。

五羊仙庭

越秀公園内にある公園です。現在広州が羊城と言われる原因になった紀元前300年頃、羊に乗った5人の仙人がこの地に稲穂をもたらしたという伝説の 五羊の石像や五仙人彫刻などが点在しています。

蘭圃

越秀公園のすぐ西、5万uの敷地内に10緒種類以上の蘭が1万鉢以上置かれています。都会の中にありながら静かで落ち着いた雰囲気で 茶館などもあります。

黄花崗七十二烈士陵園

1911年4月27日、孫文の指導した「中国同盟会」が蜂起した「三二九広州起義」で犠牲になった72人を祀った霊園です。 (犠牲者は100人以上と言われていますが、遺体が回収されたのは72人です。) 牌坊には孫文の書の「浩気長存」の文字があります。現在ここは広州新羊城八景に選ばれています。

流花湖公園

広州駅より人民北路を約1Km程下った場所に位置する流花湖を中心とする公園で市民の憩いの場ともなっています。

光孝寺

広州最大かつ最古で最も有名な仏教寺院で、広州四大寺院(光孝、六榕、海幢、華林寺)の一つです。 元々は南越王趙陀(西暦200-265年)の子孫、趙建徳の住居として創建された建物だが、三国時代に呉王をに左遷された都督虞翻がここに学校を開き、 彼の死後、家人が寺院に改築し、制止寺としたのが始まりです。現在の光孝寺の名称になったのは南宋代の1151年です。必見は院内の東鉄塔で 10世紀に建てられたものとしては保存状態が良いものです。

六榕寺

広州四大寺院(光孝、六榕、海幢、華林寺)の一つです。1997年に広州十大旅游景点に選ばれました。 梁の大同年間の537年に創建された非常に歴史のある古刹です。北宋初期に火事にあい、989年に再建され浄慧寺と名付けられました。 その後、蘇東坡が院内に多くあるカジュマル(中国語で榕樹)を見て六榕と詠んで六榕寺となりました。必見は1000年前に建てられた花 塔で高さ57m、11角形,外9層,内17層になっていて広州の有名な古代高層建筑となっています。

懐聖寺

唐初期に創建された中国最古のイスラムモスクの一つです。伝教師アブ―・ワンガスによって建てられたと言われています。 この場所は唐代アラビア人居住区でその中心になっていたのがこのモスクです。高さ36mのレンガ造りの円筒が残っています。

聖心堂

中国最高(58.5m)の尖塔を持つ広州の教会で1888年に完成したカトリック教会です。 花崗岩で造られているため別名「石室教堂」とも呼ばれています。天津条約によってフランスの租界となったこの地に 、ノートルダム教会を模して建てられました。

五仙観

紀元前300年頃、羊に乗った5人の仙人がこの地に稲穂をもたらしたという伝説の5人を祀った祠で元々他の場所にありましたが 火災にあい、明の洪武十年(1377年)現在の場所に新たに建てられました。最盛期の明清代には十数の殿堂がありました。

沙面

元のイギリス租界、フランス租界が置かれた人口島です。珠江に面する岸の一部を、運河開削を通じて陸から切り離し、イギリスとフランスが租界に設定し、列強国の領事館や企業も多数進出していた場所です。
1858年、アロー戦争後の天津条約が締結されると広州は対外貿易港となると、それまで反英運動に妨げられたため居留地の設定が出来なかった英国は その翌年の1859年、フランスとともに川砂の堆積地を埋立て工事を始め、翌年租界設定に関する協定の締結を経て1862年に竣工しここを沙面と名付けました。 この沙面は東西約900m、南北約300mの楕円形をした島で、島の西部をイギリス租界、東部をフランス租界としていました。現在も沙面大街を中心に洋館が立ち並び 異国情緒を感じることのスポットとなっています。

広州タワー

なんと高さ600mにも及ぶ中国一の高さを誇るテレビ塔です。広州のランドマークともなっています。 32階、66階、84階に展望台があり、84階の展望台からは広州市街を一望することが出来ます。夜には美しくライトUPもされます。

広州博物館新館

2010年5月、天河区珠江東路にオープンした広東の歴史文化、自然資源文物、資料などを展示した広東省最大の博物館です。 独特の外観は香港人の建築家によってデザインされています。

広州動物園

1955年に開園した歴史ある動物園です。園内には450種類、4500頭の動物がいて、パンダやアムール虎などの 希少動物も飼育されており人気のある動物園です。

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