虹口エリアの観光スポット紹介

上海市北東部の虹口エリアは租界時代に日本領事館が置かれていた地域で最盛期には10万人もの日本人が暮らし、多くの文化人もいました。 そんなかつては【リトル東京】などと言われたこの  エリア内には日本と関係の深い魯迅や日中文化人サロンの役割を果たした  内山書店など日本と所縁のある観光スポットも多いです。


多倫路文化名人街

 多倫路文化名人街は魯迅公園の南側にある約550Mほどの通りです。この 界隈には魯迅をはじめ、郭沫若ら中国の有名な作家が多く住んでいて 彼らの交流も積極的に行われた場所でもありました。そんな場所の1998年、当時(1920-30年代)の街並みを再現したのが多倫路文化名人街で 現在骨董品店やカフェなどが並んでいます。ところどころに当時の文化人の銅像も配置されています。

内山書店

 1924年代、内山定造は妻が自宅の玄関先を利用して開いていた本屋を開いていましたが、向かいに新居を購入し 本格的な本屋を始めました。この頃から内山書店は在上海・日中文化人のサロンとなりやがて「文芸漫談会」が生まれ機関誌『万華鏡』を発行しました。 1927年上海に逃れてきた魯迅出会い 深い友好が築かれました。内山の紹介で魯迅と面識を得た著名人は 長谷川如是閑、金子光晴、室伏高信、鈴木大拙、横光利一、林芙美子、武者小路実篤、岩波茂雄など多数にのぼります。

魯迅公園

朝時代の1896年に上海共同租界工部局(市役所に相当)が租界の外にあった農地を取得して造営されました。 当初は虹口賭博場と呼ばれ、西洋庭園の中に賭博場などがありました。1922年虹口公園と名前が変更され、 日本軍の上海進出後は日本軍の軍用基地となりました。日本軍撤退後はしばらく虹口公園として使用されておりましたが、 1956年、魯迅が生前よく散歩に訪れていたことから別の場所に埋葬されていた魯迅の棺がこの公園内に移されました。また魯迅記念館や魯迅記念亭も 公園内につくられました。1988年公園の名前が魯迅公園と改称されました。
魯迅公園の園内は緑も多く池もあり、毎日多くの人が身体を鍛えたり、趣味にこうじる姿が見られ、それを見ているのも面白いかもしれません。 公園内にはサッカー中国リーグの上海申花のホームスタジアムもあります。

魯迅故居

1933年4月より1936年10月までの約3年半の間魯迅が生活したアパートです。3階建のアパートの 1階は客室と食堂、2階は物置と書斎と寝室、3階は客室と子供部屋となっていて、魯迅が暮らしていた当時のまま 保存されています。

宋教仁墓

1904年西太后の誕生日に合わせて蜂起計画を立てたが失敗し日本に亡命した革命家、宋教仁の墓です。 1912年 新生中華民国の臨時大総統に就任した袁世凱との考えの相違により、彼の放った刺客に上海駅頭で射殺されてしまいました。 閘北公園内には彼のお墓が有ります。

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